旅の途上

オランダで「小学校教員になるまで」と「なってから」の足跡。

Day11

昨日の続きを少し。

携帯電話が使えるようになるまでに、

いくらか街を歩いて、いくらかの人に話しかけた。

今日までに、多少は人とのつながりがある毎日を重ねて思うことは、

私は、「金澤克宏」という一人の人間として見られていること。

私は、「〇〇人」とかって自分の周りの人を分けて見ているということ。

 

同じ場にいる人、すれ違う人と目を合わせること、

目が合ったら微笑むこと、

微笑み合えたら軽い挨拶を交わすこと、

軽い挨拶がいい感じだったら会話すること、

会話が進むと自然と優しい気持ちになること、

優しい気持ちになると相手に親切にできること。

そんなことが結構ある。

ドミトリー移動生活初日には、

駅までどうやって行くか聞いてたら、

自分も一人だから一緒行こうって話しかけてくれた人がいた。

彼はインド出身だったからインドの話とか、

銀行で働いてるから銀行の話とか、

日本食の話とか、オランダの街の話とかした。

それもきっかけは、朝食会場でチラッと目が合ったときに微笑んだから。

こんな感じの人とのつながりは、温かくて、うれしくて、ほっとする。

この感じは居心地がいいから、そのチャンスを見逃さないように、

道を歩くときとか、朝食を食べるときとか、

仕事に集中するときと音楽を聴きたいとき以外はイヤホンをするのをやめた。

ひとりの人間として尊敬されていることを感じることができるのは、

それだけでうれしい。

 

でも自分は、朝食会場であの人はドイツ人っぽいなとか、

ロシア人家族かなとか、インド人だとか中国人だとか…。

そんな風に頭ん中で勝手に分類を始めているということ。

もちろんその分類には、その国やそこに住む人の勝手なイメージもセット。

どうやらそうやって人を見ているらしい。

きっと教室の子どもたちのこともそうやって見ていたんだろうな。

まずは一人の人間がどんな人かを知ろうとすること。

民主主義のはじまりは二人から。

 

「多様なオランダ社会でよりよく生きていくために大切なことは?」 

という質問に対してのアムステルダム大学の学生さんの言葉で、

ひどく心に残っている言葉。

「自分と相手との『ちがい』を、ポジティブに強調していくこと。

私はオランダで生まれて育ったから、

オランダ人だって小さいときから両親に言っていたけれど、

両親はベトナム人。自分のルーツはベトナム。

『ちがい』をポジティブに強調して伝えられたらいい。

そうしたら、ハッピーでいられる。」