旅の途上

オランダで「小学校教員になるまで」と「なってから」の足跡。

Day577

「学びの責任を持つ」

教員生活中、よくわかっていないながらも、なんだかとても大切なことのように感じていた。それで、「自分で選ぶこと=学びの責任を持つ」と解釈することにしていた。

自分で選ぶことで、モチベーションは高まるし、行動もするけれど、責任を持てていたのかと思うと、そうでもなかったような……。

最近、オランダ語の勉強をしていて、「いま学びに責任持ててるな~」という瞬間がある。それは、新しいテキスト兼ワークブックを買って、学習をしているときのこと。その教材は、音声データのテキスト以外の質問や問題の「答え」が書いていない。答えを探すけど、どこにもない。そうなると、自分が納得できる答えを考えるようになる。わからないところは、何がわからないのか考える。そして、いまある知識や知恵を振り絞って仮の答えをつくっていく。その繰り返し。そうやって学習が進んでいく。

次に進むと決めるも、留まって考えるのも自分の責任。

これを実現させてくれる要素は何かと考えると

・答えがないこと(書いてない)

・課題が簡単ではないこと(言語を習得する)

・課題への動機があること(オランダ語を話せるようになりたい)

・時間をかけられること・学べる期間が長いこと

 

ランニングもそう。

マラソン大会にエントリーする。それに向かって練習する。練習している以上の結果は出てこない。だから、毎日の練習に責任を持つし、意図がある。休む日にはそれなりに意図がある。責任を持って選択している。

f:id:katsu1017:20191021213215j:plain

責任を持つことは、とどまらず、進んでいくことではないかと思う。